映画会社【東映】のある街はどこでしょう?

日本の映画産業は、現在東宝の一人勝ちの状況です。

この記事を書いている2018年10月現在でも、劇場版コードブルー -ドクターヘリ緊急救命-が、興収100億円が眼の前ということで、さらなるロングランが決定したというニュースが流れていました。

そこで、東宝の本社の場所をクイズにしようと思いましたが、目の前にゴジラの像が立っているほど有名なので辞めにして、業界第2位の会社の場所を答えていただきましょう。

 

業界第2位の東映の本社があるのはどこでしょう。

 

 

 

 

銀座3丁目

 

個性的な映画会社 東映

映画会社としての売上で、東宝の次ぐ2位の東映。

とはいえ、昭和の頃のように、映画会社が製作配給興行まですべて行っているのは、東宝、東映、松竹の3社のみで、この3社で売上シェアの50%以上を占めているのが日本映画産業の状況ですが、この3社はそれぞれに個性豊かな映画会社だとも言えます。

ゴジラと宝塚歌劇団を有し、多くのヒット作品を生み出している東宝。歌舞伎の興行を行い、小津安二郎監督の流れをくむ日本映画の老舗松竹
そして、ヤクザ映画から仮面ライダーへと、個性派路線をひた走る東映と、それぞれの特色がありますが、特に東宝は、作品以外でも個性を発揮していた映画会社でした。

 

▼ 昔懐かしい映画館は、なぜか東映が多かった

現在、日本の映画館はほとんどがシネコンといっても過言ではなく、2013年で見ると、3318スクリーン中2831スクリーンがシネコンですから、なんと83%という圧倒的比率。※1.

それだけに、昔の映画館がスクリーンがひとつしかなかったということを知らない世代すら出てきた今、昔懐かしい映画館に『東映』が多かったといってになかなか伝わらないかもしれません。

でも、今をさかのぼること50年前は、日本の映画の半数近くを東映の作品が占めている時代があり、街には東映の映画館が溢れていたんです。

 

▼ 東映の映画館が多かった理由

東映は、歴史的には松竹、東宝、大映に継ぐ後発の映画会社でしたが、1950年代の時代劇ブームにより、50年代後半は映画の配給収入(※2)のトップに君臨していました。

以降も、任侠映画(やくざ映画)や実録ものなど、圧倒的な量産体制で他社を圧倒し続けるのですが、これが全国に東映の映画館を増やしてゆく要因となります。

昔の映画館経営は、現在と違い映画を製作する映画会社と映画を配給する配給会社、そして映画を上映する興行会社がワンセットになっていて、東映の作品は東映の系列館でのみ上映されることとなっていました。※名画座を除く

つまり、映画の製作数が多い東映の映画館が街にあふれるのは必然であり、なおかつ、プロ野球やボウリング、果ては不動産開発事業まで行うというほど手広く事業展開していったのも東映という会社の特徴で、これも東映映画館を増やしていった要因の一つ。
実際、現在も京都撮影所の一部をテーマパークにした東映太秦映画村という観光事業を行っているほどですからね。

 

▼ 街角を曲がれば東映の映画館があった

この東映の積極展開の顕著な例としては、1972年に開館した『新宿東映パラス2』があげられます。

当初は日活系の封切館としてオープンした『新宿東映パラス2』ですが、1978年に東映系列となります。
新宿という日本一の歓楽街にある他社系列の映画館を吸収する。このことだけでも、どれだけ東映に勢いがあったかがわかるのではないでしょうか。

手元に1978年のangleというタウン雑誌があります。

その中の映画ガイドを見てみると、都内の銀座や新宿などの歓楽街と呼ばれる街以外の街にあった映画館には、『五反田東映シネマ』『三軒茶屋東映』『上板東映』『成増東映』と東映の名前がずらり。

私の記憶ではそれ以外にも『高田馬場東映パラス』や『大山東映』などもあったはずで、まさに、「東京の懐かしい映画館は東映だらけ」といったところ。

そうそう、写真に使ったのは銀座の『丸の内TOEI』の看板ですが、東映会館はそれ以外にも、『横浜東映会館』『名古屋東映会館』『札幌東映会館』などなど、日本中にあったようです。

※1 日本映画産業統計より

※2 配給収入とは日本映画産業統計より

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