ウォータフロントは、バブルの頃こう呼ばれていました 【ベイエリア】

【死語】という言葉があります。

googleで検索すると「以前用いられたが、今では用いられなくなった言葉」という解説が出ています。

昭和の頃に流行った言葉、よく死語として話題となりますが、平成が終りを迎えると、こんどは平成に流行った言葉が死語になるんでしょうね。

ところで、1980年代バブル絶頂のころまで、東京の竹芝あたりの湾岸地域をベイエリアと呼んでいたのをご存知ですか。

 

ベイエリア 港の汽笛が聞こえそうな言葉です

東京は海に面した都市で、東京湾を埋め立てて発展してきました。

新橋は、明治時代に鉄道が始めた通ったころは、眼の前が海だったそうです。

そんな埋立地に次々と新しい建物が立ち、また、古くからあった建物を再利用しておしゃれなスポットがオープンした時代。
それがバブルので、ベイエリアが「おしゃれの最先端」であった時代です。

 

▼ まだ、お台場がただの海水浴場だったころのお話

ウイキペディアで『ベイエリア』と検索すると、たったひと言「ウォーターフロントのこと」と書いてあります。

東京湾沿いのウォーターフロントといえば、誰もが『お台場』を思い浮かべると思いますが、お台場へ行く交通手段であるレインボーブリッジができたのが1993年(平成5年)。

まさにバブルのはじけた年で、それまでは、ウォーターフロントのおしゃれスポットといえば竹芝のことを指していました。

忌野清志郎が名曲『トランジスターラジオ』で「ベイエリアから、リバプールから」と歌っていたのでも分かるとおり(清志郎の歌うベイエリアは東京のことではりません)、その時代はサンフランシスコのベイエリアへの憧れがあり、ウォーターフロントはベイエリアと呼ばれていました。

 

▼ ベイエリアからウォータフロントへ

芝浦のウォーターフロントにある倉庫街がおしゃれスポットとして注目を集めだしたのが1980年代の後半で、倉庫を改装したコンクリート打ちっぱなしという建築様式が話題を集め始めていましたが、実際には、場所を知らなければたどり着けないという真っ暗な港の倉庫街が昔のベイエリア。

 

 

1989年、芝浦にGOLDが、そしてその2年後に、あのバブル時代を象徴するジュリアナ東京ができることで、やっときらびやかな衣装を着たお姉さんたちについて行けば、おしゃれなお店にたどり着けるようになったのは、1990年代に入ってのことです。

そして、1993年にレインボーブリッジが開通してお台場が注目され始めると、なぜか『ベイエリア』という呼び名から『ウォーターフロント』という呼び名へ変わって行き、いまではウイキペディアでたったひと言「ウォーターフロントのこと」と処理されてしまうほどの死語となってしまいました。

湾岸地域全体が開発されたために、最初にベイエリアと呼ばれていた竹芝あたりには、今でも飲食店やプレイスポットはいくつも存在します。

しかし、人気のお店は芝浦や品川の方へと移動してしまい、今の竹芝は死語となった『ベイエリア』と同じく「昔ここは…」と語られる歴史遺産のような場所になってしまっていて、そのころを知るおじさんにとっては、少ししんみりしてしまう場所です。

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