バブルが壊した少女たちの夢 -全日本女子プロレス跡地-

黒区下目黒2-17-17

この住所をご存知でしょうか。

これは、昭和の時代に一世を風靡した全日本女子プロレスのあった場所。

現在は駐車場となっているのですが、まるで史跡かのように、今でも時折ファンが訪れる、そんな全日本女子プロレスを振り返ってみます。

 

事務所のあった場所が、全女のすべてを物語る

スポーツや芸能のジャンルで、事務所の所在地が符牒(合言葉)として使われたのは、アントニオ猪木新日本プロレス(上野毛)とこの全日本女子プロレスくらいのなものではないでしょうか。

JR目黒駅から、ただひたすら坂を下り、目黒川を越えると行き着くのが全日本女子プロレス(以下全女)の事務所跡地。

 

日本女子プロレス跡

 

今では、ここに昭和を代表するエンターテイメントの総本山があったことを思わせるものは何一つ残っていませんが、ここは事務所選手寮稽古場として、まさに全女そのものを体現していた場所なんです。

そうそう、この車庫や倉庫を使用した『ガレージ・マッチ』という形のプロレス興業、今では女子プロレスに限らず男のプロレス団体も行っているいますが、その原型は、この全女の事務所にあるといっても過言ではありません。

それはさておき、この事務所は、プロレスに限らずイベント興業の団体としては現在でも珍しい『持ちビル』だったそうで、そのために道場も併設でき、飲食店も同時に経営してたほど。

そんな優良プロレス団体である全女は、どのような道のりを歩んできたのでしょう。

 

▼ ひとりの少女の活躍が、女子プロレスに光を与える

全日本女子プロレスの旗揚げは1968年ですが、人気に火が付くのは1974年にマッハ文朱がデビューしてから。

マッハ文朱が、欽ちゃん(萩本欽一)司会の新人歌手オーディション番組『スター誕生』で、あの伝説のスター山口百恵ととともに決勝大会まで勝ち進んだというのは、お父さんのうんちくとしては有名な話ですが、マッハ文朱はスター誕生で山口百恵に敗れるものの、プロレスという世界でスターとなります。

それまでは、どちらかといえば色物扱いだった女子プロレスが、一躍世間の注目を集め、試合会場が満員になる。
それほどまでにマッハ文朱のはたした役割は大きなものでしたが、彼女の存在は、その後の全日本女子プロレスの運命すらもを大きく左右するのです。

 

▼ プロレス版宝塚の誕生

人気絶頂だったマッハ文朱は、まさに突然という形で全女を退団します。

ところが、当時地上波のテレビ中継があった全女は、中継中に必ず歌を入るという契約でがあったため、急きょ代役を立てる必要性に迫られます。

そこで白羽の矢が立ったのがビューティ・ペア

お世辞にも美人とはいいがたいジャッキー佐藤マキ上田のコンビでしたが、彼女たちの歌った『かけめぐる青春』は80万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、紅白歌合戦に応援団として出場するほどの人気を博します。

これにより、会場は男性ファンよりも女性ファンが多いという状態となり、全女は『プロレス版宝塚』と呼ばれ、以降の『全日本女子プロレス』という形が確定することとなるのです。

この後、1983年にはクラッシュ・ギャルズが一大ブームを巻き起こし、そのライバルであるダンプ松本も大人気を得ることとなった全女は黄金時代を迎えます。

 

 

それ以降も、北斗晶アジャ・コングといった人気選手を輩出し、最終的には東京ドームへと進出することとなるのですが、世はまさに『バブル時代』。

この時代、お金のある会社でバブルに踊っていない会社はないと言われたほどで、全女とても例がではありませんでした。

 

▼ バブル崩壊、そして全女解散

バブル時代の定番である不動産や株に手をだしていたのは全女も同じで、バブル景気がはじけるとともに全女の資金繰りは一気に悪化して行きます。

今では、プロレス自体にあまり注目が集まらないために、女子プロレスブームの終焉が全女の終焉のように勘違いしている方もおられるのですが、全女は1997年に倒産した後も8年近く活動を続けていて、実際、そのころは多くの女子プロレス団体が設立され、CS放送などでは複数の団体の試合が中継されていました。

そんな中で、女子プロレスをけん引してきた全女の経営が傾く。

これは逆に言えば、全女が傾いたがために女子プロレスの人気に陰りが出たともいえるのではないでしょうか。

女子プロレスの代名詞であった全女は、2005年4月の後楽園ホール大会を最後に活動を休止します。

しかし、その興業で明確な解散発表がなされることはなく、全女は表舞台から静かにフェードアウトし、今では遠い記憶の中の存在となってしまいました。

全女の事務所が取り壊された正確な年はわかりませんが、女子プロレスという存在をここまでに引き上げた全日本女子プロレスが、プロレス以外の要因で活動に幕を引かなければいけなったというのは、ある面、バブルという 『時代』 を象徴する出来事なのかもしれません。

 

全日本女子プロレス ブル中野オフィシャルブログ

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1件の返信

  1. 2018年10月3日

    […] とはいえ、そんな昔のことを覚えているのは、お父さんお母さん世代以上の方でしょうから、その頃のことについては、コラム「バブルが壊した少女たちの夢 -全日本女子プロレス跡地-」で詳しく紹介したいと思います。 […]

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